この記事は、6期の青山寿さんが、HMC-OB会の「フェイスブック」に投稿頂いたものです第6期(1971年/S46年3月卒)定期演奏会レコード1部 マンドリンオリジナル2部 ギター&グラジュエーション エクササイズ3部 ポピュラー4部 クラッシック部員 85人ダブルポケット型の大盤2枚のレコードケースでした。
青山さんより、続きの投稿いただきました
私達6期はこの定演とレコード制作以外にも、2回生の最後の春休みの沖縄演奏旅行から始まり、夏休みの北海道札幌後援と秋田公演(この頃は札幌は演奏旅行の一番人気で地元校友会は応援団など支援しても、マンクラなど相手にされずツテもない状態ながら何とかチケットが売れました)。 秋には他女子大学とのジョイントコンサート、春の定演前合宿など目一杯の年間活動でした。 私は渉外マネージャーで、後輩からは部費負担を考え安く抑えるため特に北海道、秋田公演では道新ホールと秋田県民会館の最低ギャランティ人数(800席)を集めるため、HBCの深夜人気番組(パーラナリティが先輩)で生出演PR(即興演奏など)したり、秋田ではOB会長が辻兵さんが、チケットが売れてないとTV、ラジオで前日〜当日の辻兵さんの生CMを全て切り替えてくれて席も埋まり、止む無く当日公演のオープニングの「青春ののろし」だけ辻兵さんが自らピアノ伴奏したい、とのわがままを受け入れ、賛助出演をお願いたりしました。 又、春、夏の演奏旅行の渉外マネージャーの下見代は部費から捻出が厳しく、半分以上が個人負担で家にも相談出来ず、その埋め合わせのため夏休みから冬に掛けて危険な高額バイトで少しでも埋め合わせしたのが、今は良き思い出です。 また、その体験が4回生の春の就職試験にも活かせました。