今回は、1967年(昭和42年)の6月の演奏会まで記録です。
当時は、6月に演奏会があり、他のクラブとの演奏旅行もありました。
<活動日誌>
第2回演奏会を終え、宮田先生を囲んで反省会を開いたとき、すでに次の演奏会の構想は、はじまっていました。ここで一つこの1年間を振り返ってみましょう。
演奏会が終って一息ついたところで沼津への演奏旅行、7月でしたが過ごしやすい日でした。地元沼津市の高等学校のブラスバンド、法政デキシーランド・ジャズ・クラブと我々の合同演奏会でした。一同大張切で演奏をし、観客にHMCを知ってもらう良いチャンスでしたが、沼津の帰り西伊豆で泳ぐ目的もハッスルの原因だったのかもしれません。
夏の合宿は蓼科高原で8月下旬に行いました。
これは、1年生を主体とし、より親睦を増すことに目的があり、羊が草を食む牧場での練習は、一人ひとりの個性があらわれて楽しいものです。
1年生から3年生までは、高原の清々しい空気をすっているのに対し、4年生のあわれなこと、たぶん就職が胸につかえていたのでしょう。
秋に入って学内演奏会が、我々音楽団体の手によって開かれました。
1年生は、先輩のユニホームを借りての初舞台、級友に見せる姿は何か誇らしさを感じさせました。
12月に入り全日本マンドリン連盟関東支部の演奏会があり、昨年は早稲田との合同でしたが、今年は我マンドリン・クラブ1校で行いました。
昭和42年1月、後期試験が終って、4年生の追出しコンパがあります。
たぶん就職が決まったことだろうと、全員が集まって4年生に記念のフラッグをもたせ盛大に追出しました。
先輩の嬉しいような、淋しいような顔、部員一同のお祝いの言葉を胸にOBの仲間入りです。
春休みを自宅で甘えている部員を引っ張り出して、春季合宿が、3月下旬に軽井沢のホテルで行われてました。
4月に入ると新執行部の初仕事である新入生勧誘が行われました。
執行部の作戦計画は、見事に新入生を一網打尽、これからの執行部の活躍が楽しみです。
5月の連休は、強化練習として絶好のチャンス、気候も穏やかな箱根に行われました。
風呂好きなマンクラ全員、風呂よし、部屋よし、食事よしとご機嫌、社会人1・2年生の先輩も忙しいところを参加して下さり、ちからづけられました。
1年は早いものです。しかし、昨年と違うところ、それは年々マンクラが成長していることです。演奏面でも、学内のクラブの地位でも、しかし、まだ演奏会は3年目、まだまだよちよち歩きのH・M・Cです。躓くこともあるでしょうが、元気一杯踏ん張ってゆくつもりです。
-編集後記-
外濠公園の桜が咲く頃、プログラムの企画を始めましたが、
安くて良いものという壁は厚く、越えるまでに一苦労でした。
第2回演奏会のアンケートを参考に、皆様に楽しくて面白いものを編集者全員、奮励努力いたしました。きっと御満足いただけると思います。
広告をもらいに走り回り、適切なアドバイスをくれたマンクラ全員ありがとう。そしてプログラム作製に際し多大の御助力をして下さった方々に心から感謝いたします。
第3回演奏会のメモ
1967(S42).6.21.水 start 18:30 @虎ノ門ホール
<曲目一覧>
第1部 マンドリンオリジナル
1 山嶽詩 サルベッテ・シモン
2 幸福の星 ジュセッペ・フレンド
3 抒情組曲「蝦夷」 鈴木静一
第2部 クラシック
1 魔弾の射手 ウェーバー
2 弦楽セレナーデ モーツァルト
3 バグダットの大守 ボアルデュ
第3部 タンゴ
1 夜明け
2 タンゴ・ボレロ
3 カミニート
4 ビオレッタに捧し歌
5 ア・メディアルス
ラテン
1 闘牛士のマンボ
2 グラナダ
3 キサス・キサス
4 マンボNo.5
民謡
1 ソーラン節
2 津軽じょんがら節
3 佐渡おけさ
4 八木節